さよならのかわりに
埼玉県の深谷駅はなかなか珍しいレンガ作りで東京駅の様な絢爛さがある。
店前から見る駅舎が好きだ。
電車が来て、人が降りて、夕日が落ちる
いつのまにか息子の様に扱ってもらううちに
実はこの街で今日まで生きてきたんじゃないかと錯覚しそうな時すらある。
そんな実家の母親のようなテンションで「お店辞めることにするよ」と連絡が来たのが少し前。
あーまたか。
自戒であり自責、俺たちの責任は無いと明白であれそう思った。
あーまたかと。
オレことさいとうりょうじと、タカシこと熱々小籠包はもう15年近く用事の帰りは一緒に帰る。
精神年齢5歳が2人いるわけだから寄り道はしたいが、なかなか行きつけの店は多くない。
タバコが吸えないとダメ
音がうるさいとダメ
うるさい奴がいてもダメ
おまけに酒は全く飲まない
そんなやつらに行きつけの店が多いはずがない。
数年に一軒ようやく居場所を見つけたりする。
で、そうなるとまぁ通う。選択肢に対抗馬は皆無だからまぁ通う。
家のように思うほど通う。精神年齢5歳だから。
ただ、何故だか俺たちが通う店はなくなる。
形態は様々、理由も様々、でもなくなる。
正直かなり確実になくなると言っていいほどなくなる。
2人の間では15年続く慣れ親しんだ呪いだから閉店の報せにはまず思う。
ユニゾンで漏れたため息が宙を舞う。
あーまたか。
自戒であり自責、俺たちの責任は無いと明白であれ俺たちは思う。
あーまたか。
美味い店はいくらでもある
安い店もいくらでもある
喫煙できる店もまだ探せばある
ライブをする場所だってオファーだってそれなりにある
でも
埼玉にあるくせに
何かあるたびに心配してくれて
何かあるたびに大して有名でもないオレのライブをさせてくれて
オレの作る全ての音楽を聞いてくれて
裸のおじさんの絵の個展をやりたいっていって
好きなだけ食べて
好きなだけ飲んで
好き勝手に遊んで汚して
開店前も閉店後もグータラ馬鹿話をして
毎日実家の母親の様に連絡が来る
そんな店はない。
店はなくなっても人はいる、街はある、集まればいいだけだよ。
ママの新しい人生がはじまるんだから楽しみでしかないよ。
数ヶ月そうやって言ってた。
本心で言ってた。
今だってそう思ってる。
でも
最後にお店の写真を撮った時
素直になくなるの嫌だなと思った
前日のライブ中に双子の兄が泣いてるのを笑ってたオレが
真昼間の店の中でみんなに気づかれない様にした。
ソファーに座って壁を眺めてあくびをするフリをした。
この歌詞は以前クラファンしたときにお店のテーマソングとして書いたもの。
さよならのかわりに。
駅の前で待つわ 今日もあなたのこと
斜め45度から帰ってきて欲しいの
列車の遠吠えが 近づいてくるわ
会える気がするなんて 悪い女みたいね
とっておきの愛をあげるわ
今日だけ あなただけ
ただいま おかえり あと一杯だけなんて言って
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赤く染まる 駅の向こう
夕焼け 山に落ちる
ただいま おかえり 笑い話にもらい泣き
もっときかせて まだ飲めるでしょ
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