hay fever ですよ
ぼく小学生の時はサッカー少年だったんです。
といってもチームに入ってる訳ではなく放課後に校庭で日が暮れるまで遊んでる種類のものですが。
当時はJリーグが開幕したばかりなのもあって放課後の遊びはサッカー一択でした。
小学校5年生の頃かな、いつものようにグラウンドで走り回っているたんだけど目が痒くなっちゃって上手くトラップができなくて、こう見えても運動神経が生まれつき抜群なもんでボールをトラップ出来ないなんて事がなかったからアレ?ってなって。
ただほら放課後のグラウンドって風で砂嵐みたいなの頻繁になるじゃないですか。
今思えば春一番みたいなのも吹いてたんだと思うし、あの日も砂が目に入ったと思ったんですね。
何回か水道に目を洗いにいくんだけど全然それでも痒くて何時間もずっと目をかきながらサッカーしてて。
でも途中で息も苦しくなってきちゃったから動けなくなっちゃって、友達もヤバいから帰りなって言い出して、止まらない痒みと息苦しさと遊べない悔しさが入り混じって、泣きながら家に帰ったんです。
家に着くとばあちゃんが俺の顔を見るなり叫び出して、「どうしたの!何が起きたの!」とテンパって。
それでやっと自分の顔を鏡で見て衝撃を受けるんですね。
目がもう試合後のボクサーのように腫れ上がって塞がっていた。尋常じゃない目になってた。
うちは共働きでばあさんと同居のスタイルなので、夕方は基本ばあさんしかいない。
まぁばあさんって言っても当時40代後半とかだけど。とにかく薬局に行かないとと町内の薬局に。
何だろうねなんて言われて、よくわかんない漢方をもらうんだけど即効性はなく目の痒みはおさまらず鼻も空気を通さなくなり一晩まったく眠れなかった。
翌朝学校を休み母親に連れられて小児科へ行きそこでやっと僕たちは何が起きたかを知った。
小5だから28年前か。1994年、日本は村山総理の眉毛を笑いながら「恋しさとせつなさと心強さと」を聴きながらスト2に明け暮れていた時代。
今や国民の半数近くが罹る身近な病気だが当時はまだ20%にも満たない認知度の低い病気だったと思う。
だから子供のぼくはもちろんその名前を初めて聞いた。
「花粉症ですね。採血して成分を調べましょう」
あれから28回の春を越えてきた。
味と匂いのないマスクの世界はコロナのずっと前から知っていた。
効き目のないメガネもいくつも捨てたし、ボクサーの目になる事にも慣れた。
初めての彼女と初めてのゴールデンウィークに初めての湘南、鼻のかみ過ぎで鼻血が止まらないデートもしたし
お前の花粉症がうつったんだぞなんて冤罪だって受けてきた。
冬の終わりには穏やかな喜びの裏に絶望が隠れている。
歳をとる度に症状との付き合い方は上手くなり薬の効力も上がっていくけど
花が芽吹く怖さや暖かい風への嫌疑は深まるばかりだ。
新しい季節が新しい世界が僕を置いてこうとしている気がするけど夏がくれば大丈夫。
だからあと2ヶ月ぼくは腫れた瞼の裏にいつかの春を映してやりすごす。
春がきたよ。